午前0時のジョーカー

日本では今年の漢字に「災」が選ばれたというが、ここ数年、世相へのネガティブなイメージが定着しているのは台湾も変わらない。漢字文化圏の台湾でも同じように年度を代表する漢字を毎年選出しており、今年は「翻」が選ばれた。ひっくり返るという意味だが、過去3年間を遡ると「換」「苦」「茫」と続いており、変化を期待するもののどうにも払拭することのできない重い空気に悩まされる台湾の苦悩がにじみ出ているように思える。考えてみれば両岸問題に少子高齢化、一向に上昇しない賃金など明るい材料があるとは思えない台湾社会だが、中で暮らしてみると、不思議なことにそんな重苦しい雰囲気はそれほど感じない。

タクシーの運転手にこんなことを言われたことがある。「お前さん、日本人だろ?真面目なあんたらが、なんでこんないい加減で未来のない国に来たんだい」「この国じゃさ、真面目に会社勤めなんかするより、こうやって適当に車でも運転してるくらいがいいんだよ」そう笑いながら話す彼の口調が、とても「未来のない国」の人の話し方とは思えないほど軽快なのが印象的だったのを覚えている。

また、妻の従兄弟の一人にエンジニアがいるのだが、ぼくとは業種が近いということで、彼とはたまに会うと話が弾む。先日親族の集まりで久々に話した時、彼曰くエンジニアの仕事が嫌いだそうで、来年は仕事を辞めて旅にでも出るつもりなのだと言う。「でもさ、そのあとはどうするの?帰ってきてからエンジニアは嫌だっていっても、仕事ないかもしれないし」とぼくが聞くと、彼はそうかもね、と少し考えてから、「まあ本当にそうなったら、食べ物でも売るよ。屋台でチャーハンでも売ってさ。なんとかなるでしょ」と言うのだった。

運転手はタクシーを何歳まで運転するつもりだろうか。運転できなくなったらその後はどうするのだろうか。情報系の大学を卒業してエンジニアになった従兄弟の彼は、ふとした思いつきでキャリアが断絶することが恐ろしくないのだろうか。食べ物を売ると言うが、そもそも料理はできるのだろうか。場所はどうする?設備は?ぼくはついそう考えてしまうのだが、彼らはどうも違うらしい。将来への不安を感じさせないどころか、いざとなればまだ腹案があるとばかりに不敵に笑う。まるで誰もが切り札のジョーカーを温存しているかのようだ。

夜市を歩くと、ぼくは日本のお祭りの縁日を思い出す。地方だとまた違うのかもしれないが、東京で育ったぼくにとって、縁日は普段何もない所にある期間だけ突然出現する異世界のような場所で、そこでは父も母も不思議な魔法にでもかかったかのようにぼくのワガママを許してくれた。だからぼくはその年に数日間だけの特別な日を毎年のように心待ちにしていたものだった。台湾の夜市も同じようなものと思うかもしれないが、一つ違うところがあるとすれば、夜市は、いつでもそこにあるということだ。台湾人にとって夜市は活気と生のエナジーに満ちた日常そのもので、そこに生きる人々の生活そのものなのだ。旅行者として特別な時に訪れる場所ではなく、幼い頃から親に連れて歩かれ、そこでの人の生き様を原体験として脳に焼き付け、生きるという最も原始的な営みの在り方を学んでいく場所なのだろう。

かくいうぼくの娘も「夜市ごっこ」が好きで、毎日のように飲み物やら何やらを売る遊びに付き合わされているが、きっとぼくはそれを子供の遊びと笑ったりするべきではないのだと思う。やがてガスコンロとフライパン一つでたくましく生きていくことをイメージできるようになった彼女らにとって、その体験は最早ただの遊びでなく、ある日全てを失った時、ジョーカーとして窮地を救ってくれるかもしれないのだから。