台北在住と書いてはいるが、ぼくが住んでいるのは三重という街で、正確には台北市ではなく、隣の新北市の行政区だ。それなのになぜ台北と書くのかと言うと、ちゃんと理由がある。
新北市というのはかなり大きな自治体で、実はかの有名な九份のあたりまで新北市に含まれる。台北市はその中の一部分という感じで、四方を新北市に囲まれてすっぽりと収まる形だ。新北市を東京23区外に隣接県を加えたものとするなら、台北市は東京23区内といった具合だろうか。だからニュースなどでも新北市と台北市はよく「雙北」「北北基(新北・台北・基隆市のこと)」のように一緒にされている。当然住民の気持ちとしては同じ台北だし、特に三重は台北と新北の境界の新北側だから、もうこれはほとんど台北だと言って良い場所なのだ。
なぜこうして台北であることを強調するかと言うと、三重という街は、そこに住んでいるというだけで妙に怪訝な顔をされたりするから、なるべく伏せておきたいのだ。
確かに治安は良くない。そう言えば先日もコンビニで夜中に店員が刃物で刺される事件があった。またかと思って記事をよく読むと、写真に写っていたのはぼくが通っているスポーツジムの1階にあるファミリーマートだった。幸いなことに軽い怪我で済んだそうだが笑い事ではない(とはいえ不思議なことにその手の事件で死者が出たという話はあまり聞かない、知らないだけかもしれないが)。
「ああー、(あの)三重」
どこに住んでいるのか、と問われて三重と答えた時の台湾人の反応といえば、大体がこうだ。ポイントは前半の「ああー」で、言い方にコツがある。「ああー」は1秒ほどの発声に侮蔑か哀憫かの感情を乗せつつ、少し調子を下げての「ああー」だ。三重に引っ越してきたばかりの頃は、この「ああー」を聞くたび、何が「ああー」なのだ、確かに台北ではないかもしれないが、河を渡ればすぐ台北ではないか、失礼なやつだと内心で憤慨していた。しかし三重に住んで5年が過ぎた今、「ああー」の意味するところがなんとなくわかってきた。
例えば義父だ。年季の入った三重人の義父は毎朝スクーターでぼくたちの住んでる家の近所の廟まで散歩(といっても歩いてはいない)しに来るのが日課だが、ある日彼が無免許でスクーターに乗っていることを知って驚愕したことがある。あまりに驚いて「まずいでしょ、それ」と言うぼくに、彼はまるで宇宙人でも見るような目を向けて「はあ?いいんだよ、三重でしか乗らんから。俺の知り合いは皆そうだぞ。」と言い放った。道理でただでさえ悪い交通マナーが、家に近づくにつれてさらに悪化しているような気がしていたが、マナー以前に法を全く守っていない連中がそこらを闊歩しているとしたら、それもむべなるかなという気持ちにもなる。
交通マナーといえば、我が街三重ではスクーターも車も頻繁に信号無視しているのを見かける。この街の信号機はどうやら目安のようなもので、大事なのは自己判断、行けそうなら行くというのが(一部の)住人のポリシーらしい。スクーターの停止線で赤信号を待っていたら、後ろから来たスクーターが律儀に止まっているぼくをあざ笑うかのように、ものの見事に一台も止まらず華麗に通過して行ったこともあった。ぼくは唖然としてしまい、自分が標識を見間違っているのかと何度も確認したが、どうみてもただの赤信号だ。不思議に思いながらも目的地まで走り、スクーターを降りてからやはり頭でもおかしくなったかと不安になって妻に電話までした。「ねえ、あの交差点で信号待ってるのぼくだけだったんだけど、あれどういうこと?」と聞くと、呆れたように一言「忘れたの?ここは三重よ?」とだけ告げられて電話を切られてしまった。
とまあ書き始めるとキリがないのだが、このような経験が積み重なった結果、三重在住ということはもしかするとあまり公言しない方が良いのではないかと思うようになったというわけだ。この街でいくら家族には悪くない生活をさせているという自負があろうと、ぼくはともかく娘たちがそういう目で見られるのは忍びない。
ところでぼくは毎日夕方になると、河の向こうにある幼稚園に上の娘をスクーターで迎えに行くのだが、ある時、仕事で根詰めて少し仮眠を取って寝過ごしてしまったことがあった。寝ぼけ眼に時計を見るとお迎えの時間をもう10分も過ぎていて、慌てて準備してスクーターに飛び乗って普段の1.5倍くらいの速度で橋を渡り、幼稚園についてヘルメットを取ろうと頭に手をやったのだが、妙にスカスカしたその感触に青ざめた。どうもノーヘルで市内を爆走していたらしい。えっ、やばい、どうしよう、というか捕まらなかったなラッキー、などと混乱した頭で、娘を連れてどうするかを考えることになった。考えると言っても、帰りも捕まらないことを願って直接帰るか、近所の店にヘルメットを買いに行くか、の二択だ。根っからの「良い子」というかチキンであるぼくは当然後者を選んだ。選んだは良いが、家よりは近いと言っても店までも歩いたら結構な時間がかかってしまう。こうなれば店までスクーターで5分間、見つからないよう祈るしかない。こんなに長い5分はきっと音大受験生時代のピアノ実技試験以来だったと思う。祈りが届いたのかどうか、ともかく何事もなく店の前にバイクを停めることができた・・・と思い、店のドアをくぐろうとしたその時、後ろからドスの聞いた声で「你等一下,你連安全帽都不想戴哦?(お前、ヘルメットも被りたくないのか?)」と呼び止められた。振り返ると蛍光イエローのチョッキを着た警官が二人、ぼくの後ろをついてきていたのだ。ああ終わった。
何の自慢にもならないが、生まれてこの方警察のお世話になったことはない。日本の免許だってもちろん燦然と輝く金色だ。だがそんな「良い子」一辺倒だったぼくの歴史にバッテンが刻まれる日がやってきたのだ。しかもいい歳して、ノーヘルという青春真っ只中のヤンキーのような罪状で、だ。情けないことこの上ない。想定していたとはいえ突然の出来事でまごついていると「證件!給我拿出來(身分証出せ)」と強面の若い警官が急かす。ぼくがしょぼくれて居留証を出すと、後ろにいたもう一人の年配の警官が驚いたように言った。
「ん?日本人なの?」
「はい」
「おお、この子は自分の娘さんか?子供連れて、バイクでどこ行くんだ」
「娘を幼稚園に迎えに行って、帰るところでした」
「なんでヘルメットしてないんだ?台湾はノーヘル禁止なの知ってるか?」
「はい、外に出てから気づいて。今慌ててここに買いに来たんです」
「ふーん、どこ住んでんだ」
「三重です」
「ああー、三重。なら新しいヘルメット買ってさっさと帰りな。切符は切らんから。近くて良かったな」
ぼくの父はぼくが小さい頃、駐車違反などの軽い違反で捕まった時に、警官に上手いことを言って見逃してもらうという姑息なことをよくやっていて、若い奴はダメだ、年寄りならチャンスがある、のようなことを得意げに語っていた記憶があるが、この時ぼくの脳裏によぎったのはその父のしょうもないエピソードだった。昔から父の考えてることはいつもさっぱり理解できなかったが、この時ばかりは少し父の気持ちがわかった気がした。こんな人情味あふれる、こち亀の両さんのようなおまわりさんが台湾にもいるじゃないか。ぼくは感激と安堵で「謝謝,謝謝,下次會小心的(ありがとうございます、次は気をつけます)」とひたすら頭を下げて二人の警官が去るのを見送ったのだった。
しかし、だ。ぼくが今こう思い出して書いているのは、この話をそんなハートウォーミングな美談にしたいからではない。またも「ああー」だ。よくよく考えると、「三重から来たなら許す」とはどういうことだろう。もしかすると三重に住んでいる奴はそんなルールも守れないから仕方ない、という意味だったのかもしれない。動物園の檻から動物が出てきたから、誘導して元の檻に帰してあげようとする優しい飼育員の姿が頭に浮かぶようだ。文明人であることを否定されたような気さえしてくる。仮にそうだったとしたら、施しを受けて情けなくペコペコするのでなく、堂々と違反を認めそれを償うのが気高く正しい選択だったのではないか。ぼくは人としての尊厳を幾許かで売り渡してしまったような気がしてならない。
なお後日調べたところによると、ノーヘルの罰金は600元らしいが、この日ぼくが慌てて買ったヘルメットは1200元もしたことも追記しておきたい。まったく弱り目に祟り目とは、まさにこのことだ。
