ぼくがまだ日本にいた頃、大晦日の夜には高校の同級生たちと過ごすのが恒例となっていて、夕方くらいになると、誰からともなく「今年もやるよね?」と言いだし、約束などもしていないのに自然とどこかに集合していた。神社が近いぼくの実家はよくその会場として選ばれていて、その日は特に広くもない家の中に10人近くがギュウギュウ詰めになって座っていたりした。
実家の近所にある神社は菅原道真を祀っていて、毎年受験生が熱心に訪れている。紅白歌合戦が終わるくらいの時間になると、ぼくたちは億劫そうにこたつから這い出て、寒い寒いと言いながら神社へ赴くのだが、実際はそこまで真剣に参拝しようとしているわけではない。初詣に行くとは言っても、賽銭箱の前には日付が変わってから参拝したい人たちで長蛇の列ができていて、真冬の深夜に1〜2時間も並ばないと小銭を投げ入れることすらできない。それは嫌だから、並ぶのは諦めて、早々に列から離れて遠くで申し訳程度に少し頭を下げ、あとは縁日でお好み焼きやあんず飴を食べ、絵馬を冷やかし、おみくじの結果に一喜一憂する、というのがぼくたちのなんとも信心の感じられない初詣だった。とは言っても、受験の神様を全くアテにしていないのかというとそんなことはなく、中学受験の時にも最初の大学受験の時にもちゃっかり参拝して必死で合格祈願をしていたし、時間をかけて絵馬も書いたかもしれない。要するに、都合のいい時にだけ思い出したように頼みにいって、用のないときは見向きもしない。天から雷でも落とされそうだが、ぼくの信仰心はというと大方そんなものだった。
一方でぼくの母は、散歩がてら神社に拝みにいくような習慣のある人で、ぼくからしてみれば信心深いところがあった。ぼくの長い長い浪人生時代にも、毎年試験の時期になると、頼んでもいないのにぼくのためにあれやこれやと願掛けをしてくれていたし、それ以外の小さなことでも、よく「天神様にお願いしておいたよ」とニコニコしてぼくや妹に話すことがあった。もちろん子供達のため、ということもあるのだろうが、それよりも母は「祈る」ということにとても真摯に取り組んでいたように思う。ぼくはというと自分で祈願して臨んだ最初の大学受験に失敗して以来、合格祈願などもしなくなってしまった。その上、母に感謝するどころか「天神さまって音大もカバーしてくれるわけ?芸術系はダメなんじゃないの?」などと相変わらず罰当たりなことを言ったりしていたが、母はその度に苦笑いしながら「でも、わからないでしょ?」とそんなぼくをたしなめるのだった。
台湾で「初詣」という風習は聞いたことがないが、それは祈るという行為がより日常化しているからかもしれない。実際、台湾の街を歩くとその宗教施設の多さに驚くはずだ。しかしその多くは、日本の神社のように神聖で特別な場所というよりは、雑居ビルの中に入っていたり、隙間の土地ををうまく活用して作られていたりと、どちらかというとコンビニのような感じで点在している。また妻の実家もそうだが、ぼくたちの親世代の人の家に行くとほぼ必ず先祖を奉る祭壇が設置されている。思い返してみると、今年95歳になるぼくの祖母の家にはまだ仏壇があったが、両親世代の家、つまりぼくの実家にはもうなかった。祖母の世代からぼくの世代までに、そういうものを大事にし、生活の一部としようとする心は失われてしまった。だから妻の実家に行くと、ぼくはなんとなく、実家というよりは、子供の頃に「おばあちゃんの家」にお邪魔した時のような気分になるのだ。拜拜(お祈り)の日を大切にする義母の姿も、そう考えるとぼくの母というよりは、まだ若かった頃の祖母の影を帯びているように見える。
とは言え、年長者のそういう習慣が「古く」見えるのは台湾人の若い世代にとっても同じなようで、今ぼくたちが暮らしている家にももちろん祭壇などというものはない。
「那是老人家才需要的,但我們不是」
「ああいうのは年寄りのものでしょ、私たちは違うし」
と言う妻の感覚は、ぼくの罰当たりなそれと近いようにも感じられるだろう。ところが、ある日ドライブがてら、台北から車で30分くらいの林口という街に行った時のことだ。特に目的地もなかったぼくたちは、Googleマップで付近のランドマークを適当に探して、とある寺に向かうことにした。「お寺なんか行ってどうするの」と言いつつも他に行く場所も思いつかないから、と渋々頷いた妻だったが、到着するなり「せっかく来たし、お参りしていこう」と言うやいなや、ぼくがえっと思う間もなくテキパキと準備を始めたのだ。来ること自体が目的だったぼくは拝み方もよくわからないし、じゃあ写真でも撮ってくると言って境内をブラブラしていたのだが、ぐるっと一回りして戻って来て、お参りが済んだら帰ろう、と声をかけようとして、思わず息を飲んだ。そこにあったのは、背筋をピンと伸ばし長い線香を掲げて、瞳を潤ませながら真っ直ぐに前を見つめる妻の姿だった。張り詰めた空気を纏い、崇高さすら湛えた彼女は、よく知った妻のようであり、まるで知らない他の誰かのようでもあった。その迫力に圧倒されたぼくは、声をかけることもできず、ただ妻が祈りを捧げ終わるのを待つことしかできなかったのだった。
ぼくの中ではもう失われてしまった何かが、妻の中にはまだ息づいている。それは母が祖母から受け継ぎ、ぼくが母から受け継ぐことのなかった何かなのだろう。「ずいぶん真剣にお祈りするんだね」というぼくの声でようやくぼくが見ていることに気づいた妻は、「還好啦,回家吧(そうでもないよ、帰ろう)」と少し恥ずかしそうに笑いながら駐車場の方へと向かっていった。妻が何を祈っていたのかはわからないが、そんな彼女を足早に追うぼくには、その残り香がどこか懐かしい、母の匂いがする気がした。
