最近、車を購入した。記念すべき人生で初めてのマイカーだ。まさか海外で車を手に入れることになるとは思わず、またせっかくならということで少しだけ良い車を選んだので数日間気が昂ぶって眠れなかったりしたのだが、そんなぼくよりも嬉しそうだったのは妻の方だった。
ある日実家に車で義母を送りに行った時に、ちょうど義父の兄(以下叔父)と顔を合わせたことがあった。驚いた顔で「車買ったのか?」と尋ねる叔父を横目に、義母は涼しい顔で「そうよ、この子だってもう子供二人もいるんだからね、車くらいないとね」と言い、颯爽とエレベーターへと乗り込んでいった。その場を離れてしばらく走ると、妻はいつになく穏やかな声でこう言った。
「你一個人,有給我們很多面子,真的謝謝你」「あなたは私たちの『面子』を一人で立ててくれてるの、ありがとうね」
ここで台湾人は「見栄っ張り」なのだと解釈し、車ごときでなんともくだらんと鼻で嗤うことは簡単だろう。しかしぼくには「面子」という言葉が、単なる見栄や自慢ではない、もっと他の、奥深いところから押し出されるような重い心の叫びのように聞こえたのだ。
妻は4人兄弟の末っ子で、一人だけ年の離れた妹として育った。もともと生む予定ではなかった子だったということもあり、子供の頃は「多的(おまけ、余り物)」と言われることがあったという。妻の実家は経済的に恵まれているとは言えず、警備員などをしていたという義父もとうに退職していて、特に商売をしているわけでもない。年金のほか、同居している妻の姉が入れている生活費で生計を立てているようだ。義父母は愛に溢れる人ではあるものの教育熱心ではなかったので、妻の兄姉達を見ても義務教育までしか受けておらず、現在も彼らは教育レベルなりの仕事に就き質素に暮らしている。
台湾人によくあることなのだが、同じマンションに親世代の兄弟姉妹が住んでいて、近所がほとんど親戚にあたり、それぞれがお互いの家庭状況をよく把握している。義父の姉(以下叔母)もその一人で、叔母は「余り物」と呼ばれる妻の将来を心配し、少しでも良い環境で学ばせるため、教育に無関心な義父母に代わり、小さい頃から学費を捻出したり遠くの学校に通わせたりしてくれたのだそうだ。「何でも良いから技術を身につけなさい、でなければまともな仕事を探せない、仕事がないと面子が立たない」そう教えられた妻は日本語を学ぶ道を選び、それが縁となりぼくと妻は出会ったわけだ。逆にあまり好ましくない影響を与えていたのが叔父で、ぼくに接している時の叔父は感じのいい人なのだが、妻の言うところによれば、叔父は子供を立派に進学させ、大手銀行などに就職させたことを誇りに思っている人で、それを理由に妻の家族を小馬鹿にしているところがあるそうだ。そうして妻は一方で叔母に助けられながら、一方で叔父に自分の親を下に見られることに耐えながら生きてきたのだった。
ぼくたちが結婚する時、叔母は特に喜んでくれた。当時のぼくにはなぜ叔母がそこまで喜ぶのかが理解できなかったが、今はなんとなくわかるようになった。独身の叔母にとって自分の娘同然だった姪が、教育をきっかけに日本という違う世界への扉を開いたことが嬉しくて仕方がなかったのだ。教育のなさ故に軽んじられ虐げられる、そんな未来から長い時間をかけて妻を救い上げようとしているうちに、叔母もまた同じ「面子」を共有することになっていったのだろう。
妻は「私の面子」ではなく「私たちの面子」と言った。その中にはもちろん叔母も含まれているはずだ。そう考えると台湾人の言う「面子」は見栄ではなく、自分を気にかけ守ってくれた人を包み込もうとする、優しい家族愛の言葉だ。妻にとっての「面子」が両親や叔母を包み込むように、両親や叔母の「面子」はまた上の世代への愛を含意しているのだと思う。
「残り物には福がある」という言葉がこの土地でどれだけ説得力があるのかどうかはわからないが、ともあれ、ぼくを運命の糸で引き寄せこの土地にくくりつけたのは、気が強く少しわがままな「余り物」の笑顔ではなく、もしかすると先祖一族からの「面子」の力だったのかもしれない。
