「アジア」という表現は日本人にとって特殊な言葉だと思う。「アジア」は単に地図上でユーラシア大陸の東の方の地域を示す言葉ではなく、時にある何かしらのイメージを異国情緒と共に伝える言葉としても機能しており、そのイメージは広く共有されている。言うまでもなく日本という国もアジアの一部であり、それを日本人はよくわかっているはずなのだが、不思議なことにどうしてか「アジア」からはいつもほんのりと異国の香りが漂っている。これは一体どこからやってくるのだろうか。
例えば「魅惑のアジアン夜市」「アジアの熱気を感じる夜市」などはインターネット上で台湾の夜市を表現する言葉として実際に使われていたものだが、この手の例は、ためしに「夜市 アジア 台湾」などで検索してみれば山ほど見つかるだろう。ところが、日本の夏祭りの縁日などをして「アジアの熱気」を感じるというような表現は見かけることがない。雑多で賑やかなその雰囲気は台湾の夜市と比較してもそこまでの違いがあるとも思えないが、日本の「それ」は決して「アジア」が放つエキゾチシズムに絡め取られることはなく、代わりに「伝統」「古き良き」といった言葉によって見事なまでに綺麗に回収されていくのである。このように考えると、「アジア」は決してぼんやりとしたイメージなどではなく、もっと明確に、ある種の境界線を引こうとする意識の企てであるように思えてくる。
「アジア」と同じ文脈でよく見かける言葉の一つが「親日」だ。昨今の日本で「世界屈指の親日国」などと華々しく紹介されがちな台湾は、その文言が刺さる人たちへと関心の裾野を広げることに成功したが、一方で親日国という先入観のフィルターを通さずに台湾に眼差しを向けることは、むしろ難しくなったような印象がある。ある国であった心地よい経験も不愉快な経験も、それ自体は異文化の中で異なる個と個が接触した結果にすぎず、そこに特別な意味はないはずであるが、親日性というレンズの向こう側にいる人の中では、それらは容易に「好ましい」親日的なものと、「好ましくない」非親日的なものに振り分けられてしまう。何かを体験したその瞬間、異文化に対して好ましさと好ましくなさ、日本的な振る舞いと非日本的な振る舞い、という無意識の評価付けが行われているのである。
「アジア」や「親日」について考える時、ぼくはエドワード・サイードが『オリエンタリズム』で示した西洋と東洋の関係を思い出さずにはいられない。サイードは東洋(オリエント)という概念は非西洋圏を支配するために西洋が作り上げた偏見の体系だと論じた。もし「アジア」がアジアの影響下にある文化を一括りにしながらも、同時に日本をその集合から引き剥がし、日本以外のアジアを他者として疎外することで日本の優越性を再確認するためのものだとするなら、また「親日」がそういった日本に価値を認める第三者として他者を取り込むことで、優越性をより盤石なものにしようとするためのものだとするならば、サイードの言葉を借りて言えば、どちらも「物言わぬ他者」を生み出しているという点で、かつてのオクシデントにとっての「オリエント」と同質の概念だと言える。その対象が未開であり劣等であるという一方通行の視座を内包していた「オリエンタル」という言葉は、やがてオバマ大統領以降、アメリカでは差別用語とされるまでになったのだった。
個人的に驚くべきことは、同種の思考の枠組みのようなものが、こうして書いているぼく自身の中にもあるということだ。ぼくは日本人だから、台湾で生活していると、やはり異質さを感じる習慣や文化、言動などと遭遇することがある。そんな時まず反射的に脳に伝わるのは何かと言うと、「またか、これだから台湾人は」という怒りと諦め、そして侮蔑の感情なのだ。この「台湾人」の意味するところは対象が日本人ではないことの強調であって、即ちそれは「アジア」や「オリエンタル」と同質の言葉だと言える。考えてもみて欲しい。ぼくの妻は台湾人で、娘もやはりベースは台湾人として育っている。ぼくは彼女らを愛している。それでも、やはり依然として、異質さを解釈し直し評価しようとするシステムがぼくの中に留まっていて、ぼくの思考はそれから自由になることがないのである。
この点についてぼくがよく考えるのは、仮にぼくが台湾人でなく、例えばアメリカ人やフランス人、あるいは北欧の人あたりと血縁になっていたらどうなっていただろう、ということだ。おそらくどこの国にいっても同じようなことに直面するだろうが、その時にもぼくの直感は彼らが「未開」であるとぼくに告げるのだろうか。このぼくの、アジアの片隅で養われた日本人としての感性こそが先進的だと感じるのだろうか。それは正直なところよく分からないが、ともかくこうした感覚の問題を感情のままぶつけると異文化交流は上手く行かないので、ぼくたちは理性を使うことができる。理性はぼくにこう告げるだろう。「多様性を尊重しよう」と。そう、多様性という美しい言葉が働くことができるのは、醜い感情が湧いたその次のフェーズなのだ。
多様性の尊重、書けば一言で簡単なことのようにも思えるかもしれないが、それは大きな勘違いだ。それは「アジア」「台湾人」という言葉を介して他者に未開というレッテルを貼り、先進性の物差しでそれを評価し解釈しようとすることではない。先進・後進という考え方自体が、自分が属する社会が生み出した幻想にすぎないからだ。あるいは自分を隅に追いやり他者を手放しに受け入れることでもない。自分もまた他者の他者であり、愛され尊重されるべきものだからだ。それを蔑ろにする態度は単なる迎合で、多様性を尊重しているとは言えない。多様性の中心にはいつでも自分がいなくてはならないが、その中心は相対的でなくてはならないのである。そう考えていくと、多様性を受け入れることとはこう表現できるかもしれない。ある異なるもの同士が、あらゆるしがらみや利害を意識することなく、いずれは死にゆく命として裸の魂を寄せ合う時に生じる風波の中で、時に怒り、時に喜び、時に悲しみながら悠久とも感じられる時を過ごしていくあいだに、互いを認知し、耐え、その存在を許せるようになっていくこと。どちらも消えゆくことなく、気がつかないほどゆるやかに融け合っていくこと。そして全ての個がその彼岸を見つめて生きていくことである、と。
世界中で移民や国際結婚が当たり前のものとなった現代において、ぼくたちは既に社会のグローバル化という言葉が陳腐化する地点にまで来てしまっている。現代を生きるぼくたちは今、おそらく、海辺の砂浜に立たされているのだろう。そこは間違いなく海と陸との境界ではあるが、具体的にどこからが、ということを示すことはできない。確かにあるはずの境界はいつも不安定で、潮の満ち引きとともに過去は洗い流され記憶は更新されていく。もはや異文化との接触が避け難くなったこんな時代だからこそ、ぼくたちは知らないうちに掛けていた色眼鏡を外し、絶えず打ち寄せる多様性の波打ち際に身を置いて、時にその飛沫に体を濡らされながら、目の前に迫る異質さとそれに飲まれまいと抵抗する自分の正体について、今一度思いを巡らせてみても良いのではないだろうか。
