海外在住と言うと、元々旅が大好きとか、世界を飛び回るような仕事をしているとか、フットワークが軽く活動的な人々の輝かしい生き方のように思えるかもしれない。ではそれを移民と言い換えてみるとどうだろう。途端に楽しく明るい生活のイメージは影を潜め、代わりに切迫した人々の様子が政治的な匂いを帯びて立ち上がってくるのではないだろうか。
学生時代、ぼくは香港研究で論文を書いた。香港はその政治的特殊性から移民研究ではしばしば題材として取り上げられる地域だ。移民は必ずしも望んで他国に移住するわけではなく、政治的、社会的理由で止む無くそれを強いられる場合もある。中国共産党の迫害から身を守ろうとした華人たちにとっての香港は、まさにそういう場所だった。だから誰もがそこを終の住処とするとは思っておらず、一時的に身を置き、ほとぼりが冷めた頃に母国に帰るのだと信じていた。多くの人が最後までそう思いながらも、結果的に香港に骨を埋めることになった。そうした人々の経験や記憶がその土地に刻み込まれ、それがやがて自らを「香港人」と称する人々のアイデンティティが育まれる土壌となったのだった。
もちろんぼくは彼らのような悲痛な理由で海を渡ったわけではないのだが、望んで台湾に移住したのかと聞かれると、答えに窮してしまう。ぼくがまだ台湾にいるのは、ここに家族がいるから、以外の明確な理由を探すことができない。仮に妻が一刻も早く台湾を出て他の国で暮らしたいと考えていたなら、ぼくは迷わずそうしていただろう。実際、ぼくは台湾で6年間くらい現地企業を転々としていたが、正直なところ、何処に行っても自分の居場所だと感じることはできなかったし、そこにいる未来の自分を全く想像できなかった。ぼくは日本で育ったのだから、やはりいずれは日本に帰るのだろう、でもそれはいつのことだろう?仮に帰ると決めたとして、その時日本にぼくが帰れる場所があるのだろうか?そんな思いが頭の中を去来するうちに、ぼくはいつのまにか永住権を取得していた。そのカードを見るたび「永久」という文言に不安を煽られている気がした。
台湾に来た当初、半年ほど師範大学の語言中心に通っていて、その時同じクラスだった韓国人と仲良くなった。日本人が多いと聞く師範大学だったが、ぼくのクラスは日本人がぼくしかおらず、否が応でも中国語を話さなければならない環境だった。彼は年下だったが、ぼくよりも半年早く台湾に来ていたので中国語が上手く、社交的で度胸もあり、英語も問題なし、とぼくにはお手本のような存在だった。ぼくたちはよく焼肉屋のカウンターで酒を飲んだ。カウンター越しにぼくたちが話すのを聞いた店員に「なんで君らは日本人と韓国人なのに中国語で会話しているんだ」とよく笑われていた。ぼくの中国語がそこそこ上達したのは、彼がいたからだと思っている。しかしそんな彼も、出会って1年もすると就活があると言って韓国へ帰っていった。
それから数年後のこと、ぼくが永住権を取得してから少しして、彼が久し振りにコンタクトを取ってきた。彼は帰国後、その堪能な語学力とコミュニケーション能力を買われLGエレクトロニクスに就職が決まり、今はアジア中を忙しく飛び回っているそうで、仕事で台湾に立ち寄ることになったから、昔のように酒を飲もうと言ってきたのだった。彼と違い内向的で友達が少ないぼくにとって嬉しい誘いだった。そんなわけでぼくたちは昔と同じ焼肉屋で、数年ぶりに再会することになった。彼は相変わらずがっしりした体つきで全く老けた感じもせず、変わらないな、と思いながら、座り慣れた懐かしいカウンター席に座り、少し話し始めてぼくはびっくりした。あんなに流暢に中国語で喋っていた彼が、ほとんど喋れなくなっていたのだ。聞けば帰国してから英語を喋ることの方が多くなり、使う機会のない中国語は忘れてしまったのだと言う。
なるほど、「帰国する」とはそういうことなのだ。ある土地での出来事を思い出として薄い封筒に封じ、読み終えた本と共に本棚に並べ、ふと気が向いた時にだけ取り出して振り返る。彼にとっての台湾はそういうものになっていたのだった。拙い中国語で懐かしそうに台湾のことを話す彼を見て、ぼくはまるで自分だけが昔に取り残されたような感じがした。その日、ぼくの中国語が衰えていないことを仕切りに褒める彼の言葉が、ぼくにはどこか空虚に響いた。
あの時知識として学んだ移民と呼ばれる人々の気持ちが、ぼくは今少しずつわかるようになっている。それなりに幸せな異国での日々、一方で捨てきれない母国への感傷と、時間とともに遠ざかって行くその影や記憶、岩を穿つ水滴のように自分の中に入り込んでくる異質なもの、それによって変わってゆく自分自身・・・心の中に二つの部屋ができて、それぞれが別の国に繋がれてしまったかのようだ。
彼がそうしたように、ぼくが帰国して、ここでの出来事を思い出として誰かに話せるようになる日は来るのだろうか。台湾と日本を行き来する時、空港でボンヤリと駐機中の飛行機を眺めながら、ぼくはよくそんなことを考える。どちらにも帰る場所があるのは幸せなのかもしれないが、二本の鎖が繋がったままのぼくの心は、どちらから離れようとすれば、片方に鈍い痛みが走る。この痛みにはいつになっても慣れることが出来ず、離陸の瞬間は、いつも切ない。
